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 2010年07月 13日

 盛岡・啄木の新婚の家


盛岡駅の近くに石川啄木が挙式し新婚生活を送った借家が保存されている。
誰も人がいない勝手に見てよいところで、前の駐車場に止めてゆっくりと中を見た。

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挙式といっても、啄木は5月30日当日現れず仙台で友人と遊んでいて、
そのまま渋民村に行って、妻節子と友人だけの挙式だった。
4日後にここに来たのだが、両親と妹も一緒の新婚生活だった。

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かなり」広い家だと思ったが、どうもこの家全部ではなく、
奥の8畳と4畳半、出入り口だけを借りていたのではないだろうか?
説明には何も書かれていないが、2週間ほどでここを引き上げていること、
啄木が出入りしたのは、裏の玄関と説明されているから、
5人が生活する環境ではなく、広い部屋は借りていなかったのだろうと推測する。

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盛岡の啄木の施設はここだけだということだ。
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閑谷学校(しずたにがっこう)は岡山藩主池田光政が
「この地は読書・学問をするによし」として、藩の重臣津田永忠に命じて
建設を始めたが、講堂をはじめとした壮麗な建物が完成したのは
光政の死後、元禄14年(1701年)のことだった。

閑谷学校遠景閑谷学校遠景 

武士の子弟が学ぶ藩校は岡山市内にあったが、この閑谷学校は、
初めから庶民のための学校、地方のリーダーを育てる学校として創建されており、
現存する、庶民を対象とした学校建築物としては世界で最も古い建物といわれている。

正門閑谷学校正門

神社 石塀
左:池田光政を祭った閑谷神社   右:石塀

赤い備前焼瓦で覆われた建築物やそれらを取り囲んで長く続く石塀も、
閑谷学校の構造物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されている。

講堂閑谷学校講堂

講堂内部 講堂廊下 
左:閑谷学校講堂内部  右:閑谷学校講堂廊下

申込みをすれば、今でも講堂の床に正座して
論語の講釈を受けることもできるそうだ。

看板


閑谷学校公式サイト → http://shizutani.jp/



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 2010年06月 05日

 生島新五郎の墓


三宅島の現地調査が早く終わり、時間が余ったので島内を一回りしてみた。

途中、伊ヶ谷の漁港へ寄ってみたら生島新五郎のお墓が目に付いた。

三宅島の生島新五郎の墓

生島新五郎は江戸時代の歌舞伎役者で山村座の看板役者でもあった。
この生島新五郎と当時、徳川七代将軍家継の生母である
月光院(大奥の最高権力者)に仕える大年寄の江島が激しい恋に落ちた。
江島は月光院の代りにお寺参りをした帰りに新五郎と密会していたために
大奥の門限に遅刻してしまった。

大奥の大年寄は表高600石だが
格式では10万石の大名に匹敵する権力者であったために大事件として扱われ、1500人が粛清され、90人が流罪にされたといわれている。
江島は信州高遠へ流され、生島新五郎は三宅島へ島送りされ、
二十数年この島で暮らし亡くなった。

実際には家継の御側用人で幕府最大の権力者であった
間部詮房と家継の母、月光院とのスキャンダルがらみの政治事件で、
江島を罪人にすることにより間辺部詮房と月光院を権力の座から
追い落とそうとした幕閣達の陰謀であったのだが、
その巻き添えを食ってしまったようだ。

この事件は「江島事件」として歴史に残されている。

生島新五郎の墓石 墓石の周りは寂しい

生島新五郎の墓石はまだ新しいように見えるが、
台座は黒ずんでいて、かなり古いもののようだ。
恐らく、度重なる火山活動や地震の影響で壊れてしまい、
墓石だけ新しくしたものだろうと思える。
墓前には枯れてしまった榊か樒が供えられているだけで、
花の一輪すら見当たらず、物悲しい感じで哀れな風情だった。

遥か海の彼方を見ている墓石

ただ新五郎の気持ちを思いやってか、墓石の正面は
北向きのはるか海の彼方の江戸(あるいは江島の居る高遠か?)に
向けられていたことが、せめてもの救いだと感じた。
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 2010年05月 24日

 米沢の上杉神社


上杉家は、米沢の自慢らしい。
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第35代アメリカ大統領ケネディーが、日本で最も尊敬する政治家として
上杉鷹山の名をあげた、とライオンズクラブの看板に出ていた。
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ここは、伊達政宗の生まれたところでもあり、東北の中心としてゆかりのあるところだ。
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堀がめぐらされ、公園や博物館がある。
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駐車場も広く観光バスなども来るのだろうが、この日は訪れる人は少なかった。
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米沢牛でも食べようと思ったが、結構高いので、お弁当を買って電車の中で食べることにした。

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丸岡城は今から約430年前、
越前の守護職として北ノ庄(現在の福井市)にいた柴田勝家が
甥の柴田勝豊に命じて築城させた、城郭建築の初期の時代の建物である。

丸岡城 城郭建築の初期の建物

以後、安井家、青山家二代、今村家、本多家四代、
有馬家八代の居城として使われ、明治維新をむかえた。

城の中に入るのに300円の入場料が掛かるが入ってみることにしたら、
外から見ると屋根は二重だが、内部は三階建てになっていた。
予想よりも小さな建物だったが、極太のケヤキの梁や柱が
随所に使われていて、それなりの歴史を感じさせる建物だ。

内部は立派 急な階段

二階や三階に上がる階段が非常に急に造られていて、
補助のロープに掴まらなければ転落してしまいそうだ。

眺望もすばらしい null

「霞ヶ城」の別名があるが、城の周囲には400本以上の吉野桜が
植えられており、開花時期の花霞に浮かぶ天守閣の姿は、
日本の美しさの典型と言える大変に素晴らしい眺めだそうだ。

吉野桜

 また、天守閣石垣の横には、徳川家康の功臣、本多作佐衛門重次が
陣中から妻に書き送った、日本一短い手紙として有名な
『一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ』
の書簡碑が建てられている。

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 2010年04月 20日

 福井 小浜は北前船と箸の街


小浜市は、アメリカ大統領オバマブームで有名だが、もともと古い歴史と
伝統のある街だ。
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江戸時代には北前船で栄えたところ。芸者の数も相当いたらしい。NHK朝の
ドラマ、「ちりとてちん」の影響で、訪れる人が増えたという。
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三丁町という街の一角は、古い街並を再現している。
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この奥には、常高寺があり、常高院のお墓がある。
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常高院は、豊富秀頼の母・茶々の妹で徳川秀忠の正室・お江の姉で、初という。
初は、常高寺にいつまでも眠らせてほしいと遺言した。23年度の
NHK大河ドラマが決まっている。


高級な塗り箸で有名な小浜の塗り箸は、全国の90%をここで作る。
箸会館もあって、たくさんの箸が展示されていた。
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伊豆高原駅から大室山に向かい、3kmにわたって続く、名物・ソメイヨシノの
並木。
植樹から40年が経ち、3月下旬の開花期には「桜のトンネル」として親しまれ、
多くの観光客を呼び寄せる。
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今年は紅葉が早いのか、10月半ばにはすでに落葉が始まっていた。

ほかの木々は紅葉も11月からだというのに、桜だけ早いのかなあ、
と裸木の並木道を貸別荘00?39に向って歩いていたら、ガードマンが
交通規制中。
あちこちにユンボが出て、大量の土を積んだトラックも止まっている。
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看板があった。
伊東市が昨夏から3年がかりでスタートした「伊豆高原並木通り歩道整備事業」
の工事らしい。
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歩道を整備する…?

花霞の頃、デコボコして歩きにくい舗道から車道にはみ出して歩く人をよく
見かけるから、舗道の整備は観光・生活の両面で都合がよいに違いない。

では、桜にとってはどうなのだろうか?

大気汚染に弱く、地球温暖化の影響を受けやすい品種ともいわれるソメイヨシノ。
木の周りをたくさんの人が歩くと、根が踏み固められて土から養分を吸い上げる
ことができなくなり、枯れ死の原因になるとか。
また、このあたりに多く生息するタイワンリスに、蜜を目当てに花や蕾をむしり
とられてしまうし、駐車場からバックで出ようとする車にはぶつけられるなど、
この地特有の災難がふりかかる。
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デコボコの舗道は桜の精一杯の抵抗だったのかもしれない。

あらたに植えられた若い木。先代は枯れてしまったのだろうか?
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受難のなかにも、市の重要な観光資源という大役を担い続ける桜に、
何だか同情を覚える。
レゾンの膝元・青山通りから姿を消した数十本のトチ並木を思い浮かべて
しまった。※カテゴリー一覧「東京・表参道スケッチ」参照。


※満開の桜と貸別荘の00-39。
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http://reson-ltd.co.jp/reson-net/00-39L.htm




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記入者: koba

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「道の駅 花かげの郷 まきおか」は、葡萄や桃の畑の広がる牧丘エリアにある。
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小高い丘に作られ、丘のてっぺんに富士を一望するビュー・ポイントがある
ほかは、野菜の直売所と軽食の提供、みやげものの販売と、珍しくもない
道の駅の風景だ。

直売所はかぼちゃやこんにゃく芋など、晩秋のラインナップだった。
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みんなよく育って…。
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やや離れて、ポツンとたたずむ洋館が。何やら明治の香り。
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入場料100円を払い、スリッパに履き替えて中に入った。

建物は1876年(明治9年)にこの地区に開校した室伏学校を移築した
もので、現在は郷土資料館となり、地元の集まりにも利用されている。

1階は明治期の教室を再現。黒板の脇には校歌が貼り出されていた。
その下にあるオルガンは、ある世代以降の人には非常に懐かしいものだ。
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2階には、さまざまな展示があった。
当時の教科書たちだ。
左は美術?右は地理。二宮尊徳の絵も写りこんでいる。
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左は算術、右は楽典。
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印象に残ったのは、郷土出身のひとびとを顕彰する展示。
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駅名の”花かげ”は、童謡詩人の大村主計(かずえ)による
「十五夜お月さん」の歌詞から。

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました…

明治うまれの祖母が、むかーし、歌っていたような。


県下に林業を興した大村 光太郎という人の写真や紹介もあった。
明治7年(1874年)うまれの大村は、「山村に生きるものは山造りが使命」の
信念のもと、治山治水・防火のために杉・檜・赤松の植林に情熱を傾けた。
自分の持ち山の造林が成功するとその半分を郡に寄付。
学校林をつくり、村長・森林組合長として、植林・治山事業を推し進めた。
昨今、針葉樹の森はマイナスイメージと受け取られているが、森をつくる
ことすら考えられていなかった時代だ。

草絵の創始者・妣田圭子もこの地のうまれ。作品と彼女が寄贈した
ルーベンスの版画も多数、展示されていた。

すべての部屋の窓は鎧戸が閉ざされ、館内は暗かったけれど、美術館のような
スポット照明の中に、明治という時代を生きたひとびとが浮かび上がってくる。

直売所に並ぶ旬の作物は自然の恵みとそれを生かしきる農家のしごととして
充分にありがたいけれど、こうした資料館が併設されていると、よりその土地への
親しみが増すことを実感。

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連休前日、信州行きの直前に母から入った、伯父の死を告げる電話。
出発をとりやめ、その後の連絡を待った。

結局、連休中は通夜を行わないことになり、思い立って、伯父が好きだった
目黒区駒場の日本民藝館へ。澄んだ秋空のもと、住宅街は金木犀の香りに
包まれていた。
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伯父は享年88歳。心臓の持病はあったけれど、自宅で倒れる前日には訪問
した姪と談笑したり、書斎に籠って蔵書の整理をしたり、庭の花をカメラで接写
するなどして元気だったという。
企業人だったが文学の博士号をもち、信州の山や奈良あるきを愛する夢想家
でもあった。

偶然発見した伯父の旧友のブログから知りえた、伯父たちが終戦から間もない
蓼科の山々を歩きつくし、ニッコウキスゲの大群落に迷い込んだり、山頂から
茅野駅までスキーで滑り降りた、などのエピソードには、道路も別荘地も整備
されてすっかり人臭くなった現在の蓼科しか知らない私はただ驚くばかりだ。

小学生時代、伯父からクリスマスに贈られたスイスの画家アロワ・カリジェの
2冊の絵本は、私に信州と出合うきっかけを作ってくれた思い出深いもの。null null
※※※※※※※※※※※※※※※

館では、創設者・柳宗悦の特別展を公開中だった。
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内部はもちろん、撮影ご法度。窓の格子越しに向かいの柳の旧宅をこっそり。
門の脇にもびっしりと花をつけた金木犀が。
背後の大きな建築物は、以前はなかった東大生産技術研究所。壁面緑化は
藤森教授の提案?
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かつてこのあたりに7年ほど住み、館にも散歩ついでによく立ち寄ったが、民芸に
たいしてとくに思い入れはなかった。
けれど、昨年、館とも縁の深い大原美術館をみて以来、先人たちが生活の中で
うみだしてきた用と美の道具たちに、以前にも増して親しみが湧くようになった。
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脳みその中身はともかくとして、趣味や嗜好に関するDNAは、私も伯父と共通
するものを受け継いでいるのだ。

強い芳香を放つ金木犀。毎年、この花の季節には、伯父のこと、そして伯父から
もたらされたさまざまな世界を思い出すことにしよう。
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 2009年10月 11日

 日本名水百選 三分一湧水


甲斐小泉駅の南側、県道609号線を走っていると、
「三分一湧水」という案内板を発見。

日本名水百選にも選ばれているということなので立ち寄ってみた。



「三分一」という名は、
水が貴重だった時代に、
農業用水を3つの村に均等に分配させるため、
湧出口の分水枡に三角石柱を築き、
三方向に流水を分岐させたという伝説に由来しているそうだ。




この三角がポイントらしい。
これで本当に均等に分けられているのだとしたら、
昔の人の経験から来る知恵ってすごいと思う。




一日に8500トンもの水が湧き出るそうです。


時間が無いので立ち寄りませんでしたが、
近くには湧水の仕組みや水質などを紹介する湧水館や、
そば処もありました。

地のそば粉と名水を使ったそば、
時間があれば食べてみたかった。



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記入者: cats

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