長野県信濃町・野尻湖畔にある通称“外国人村”に立ち寄った。
“外国人村”は1920年代(大正期)、カナダ人ら欧米のキリスト教関係者たちが
別荘を建てたのが始まり。当時の軽井沢への別荘集中を嫌ったことがきっかけ
という。

雪の“外国人村”から湖と桟橋を望む。1年中、誰かしら来ていて、この時も
クロスカントリーをしている青い目の人と挨拶を交わした。
日本人の姿は見かけない。


マンホールの蓋に彫られているのは、この地で発掘されたナウマン象の姿。


湖上スポーツで賑わう夏に対し、冬は静けさそのもの。
艇庫にはたくさんの船が冬眠中。


風雪に耐えてきた別荘たち。築年数は相当だろう。
外壁や屋根にまめに手を入れている様子が伺える。




どの別荘にも暖炉の煙突が見える。暖房やもちろん、炎の前のくつろぎ、
炉辺談話を愉しむにも、これだけは「はずせない」ようだ。
燃料の薪さえあれば、ガスや電気が使えないときは料理など煮炊きもできる。

石が組まれた暖炉。煙突を外に伸ばしたシンプルな形。



“外国人村”の人々は近隣の日本人に寒冷地に適したブルーベリーや
ルバーブなどの耕作を広め、ジャムやパンのつくりかたを教えたが、
第2次大戦中は「敵国人」として別荘に軟禁状態におかれた時期もあった。
白系ロシア人と結婚していた料理研究家の故・入江麻木さんもその1人と聞く。

今では日本人が圧倒的多数となった軽井沢とは異なり、ここ野尻湖畔の
“外国人村”では欧米の人々と日本人が普通に共存するリゾートとして、
90年近い歴史を刻み続けている。