豊臣方5大名の一人岡山城主宇喜多秀家の墓が八丈島にあるとは知らなかった。関が原の合戦に破れ、徳川家康によって島に流されたようだ。34歳から50年ここで暮らした。秀家の身内の人も一緒だったようで、浮田の名前の人が多いのは、その子孫だろう。
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近くに民家があり、そこに寄ってよくお茶を飲んだようで、その店が少し前までお菓子とお茶を出して喫茶店のようなことをしたと地元の人が話していた。
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島流しの生活は、質素というか貧しいものだったろう。50年間、不遇と考えただろうか、幸せと考えただろうか、仕事を終えて晩年を過ごすいまの高齢者には知りたいところだ。