水戸藩は幕末の尊王攘夷の中心的存在としてのプライドが在る。
徳川幕府を支えながら尊王を唱え、結果的には裏切られていく。
天狗党に象徴される過激派と一ツ橋慶喜に象徴される尊王派と
分裂していたのも悲劇だった。
しかし、水戸が幕末を犠牲になって作り上げたという自負が
この記念館を訪れてみてあるような気がした。

訪れたのは、閉門時間の午後4時を少しまわっていた。
受付の人がすまなそうに、少しの時間であればという条件で入館を認めてくれた。


田中光顕という宮内庁にいた人が寄付した資材をそのまま記念館にしたものらしい。
広大な敷地はキャンプ場にもなっている。